| 開始日時 | 2024/03/02 12:18:05 | 終了日時 | 2024/03/02 15:49:46 |
| 水平距離 | 2.43km | 沿面距離 | 2.43km |
| 経過時間 | 3時間31分41秒 | 移動時間 | 0時間36分24秒 |
| 全体平均速度 | 0.69km/h | 移動平均速度 | 3.77km/h |
| 最高速度 | 4.81km/h | 昇降量合計 | 17m |
| 総上昇量 | 9m | 総下降量 | 8m |
| 最高高度 | 78m | 最低高度 | 75m |
| 地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
|---|---|---|---|---|---|
| START | 12:18:05 | 0.00km | 75m | ||
| 00:36:24 | 2.43km | 3.8km/h | ↑9m ↓8m | 0.04% | |
| GOAL | 15:49:46 | 2.43km | 76m |
【コース】
大和西大寺(駅ナカで昼食) ==> 尼ヶ辻 ==> 菅原天満宮 ==> 喜光寺 ==> 尼ヶ辻 ==> 大和西大寺(豊祝) 8,800歩
2024/03/02 12:41:09
御祭神 末社 天穂日命 春彦神社 祭神 渡会春彦翁 野見宿禰命 稲荷神社 祭神 重宇気娘命 管原道真公 市杵島神社 祭神 市杵島娘命 ここ菅原天満宮は、菅原家一系三神を祀る延喜式内社の日本最古の天満宮です。天穂日命は菅原家の始祖とされ、天下泰平、国土安泰、五穀豊穣の守護神です。 その子孫で中興の祖である野見宿禰命は菅原の地を本官とし、その豊かな赤土と松樹を活用して土師器や埴輪の製作に従事していました。 垂仁天皇の皇后(日葉酢媛命)が崩御された時、当時悪習であった殉死を取り止め、替わりに埴輪を埋めるべく建言した功績により、垂仁天皇より土師臣の姓を賜りました。 土師氏はここを本拠地とし各地に勢力伸展しました(発掘調査で、埴輪を焼いた窯跡が発見され、平成12年3月奈良市指定文化財「菅原はにわ窯跡公園」として 指定されました(ここより阪奈道路沿い東へ400m)。また、当麻蹶速と力競べをし、これに勝ち角力の始祖としても知られています。 その後、土師家は大喪の事を掌っていましたが、その子孫の土師古人他が天応元年(西暦781年)に、この土地の名「菅原」に改姓を願い出、勅許されました。 以後、三代後に菅原道真公の出生となります。菅原道真公は野見宿禰命第17世の子孫です。参議従三位是善の第三子で、生来聡明にして文学に長じ、貞観年中には文章得業生と なり累進して文章博士となります。宇多天皇の寵愛を得て遂に参議に任ぜられ、民部大輔左大弁勘解由長官となりました。その後遣唐使を拝命し、醍醐天皇の昌泰二年(西暦889年)に 右大臣に重用されました。その後、故あって太宰府に転じましたが、これを機にいよいよ詩歌の道にいそしみ、文筆に励み広く学芸の神と仰がれるにいたりました。とくに晩年は、 類従国史二百巻を編纂し多くの史書や詩歌の書を筆わし、その博学ぶりを発揮しました。 道真公の没後は全国各地に道真公を祀る神社が設立され、世に道真公を天満大自在 天神と崇め奉るにいたりました。菅原家発祥及び生誕の地である当菅原天満宮と、終焉の地である太宰府天満宮及び京都の北野天満宮は最も重要な神社とされています。
行基菩薩と喜光寺
養老5年(721)行基菩薩は、この地に住んでいた寺史乙丸という人物から平城京右京三条三坊の土地の寄進を受けらて、翌年にお寺を建てました。これが喜光寺です。行基菩薩は土地の名前から「菅原寺」と名づけました。菅原寺(喜光寺)は、行基菩薩の建立されたお寺のなかで唯一平城京内にあり、行基菩薩の布教活動・社会事業の重要な拠点寺院となりました。
行基菩薩は聖武天皇に認められ、布教活動・社会事業に尽力しました。そして人生最後の大仕事として取りかかられたのが東大寺大仏造立です。聖武天皇が行基菩薩に協力を求められた時には齢76歳になっていました。
天平20年(748)行基菩薩が勧進と大仏造立に尽力するなか、聖武天皇が菅原寺に行幸されご本尊をおまいりされたところ、ご本尊から不思議な光が放たれました。聖武天皇は大いに喜ばれ、「歓喜の光の寺である」として「喜光寺」の名を賜りました。
2023/03/02 12:45:51
南大門は、戦国時代 元亀年間の戦乱で焼失してしまい、創建当初の姿は伝わっていません。しかし、今も昔も奈良と大阪を往来する人びとをみまもりつづけてきた喜光寺にとって、南大門の復興は悲願でした。
「いろは写経」をはじめ、多くの方々のご結縁によって、平城遷都1200年にあたる平成22年(2010)に南大門落慶を迎えることができました。高さ12mの楼門の二層目には、ご結縁いただいた「いろは写経」が納められています。奈良の西の玄関口にふさわしい威容をほこり、正面の扁額には「喜光寺」の文字が輝いています。
南大門をくぐるとき、出迎えてくださる仁王像。南大門の落慶にあわせ文化勲章受章者 中村晋也氏により制作、奉納されました。大地を踏みしめ、人の悪心を憎む憤怒の姿は、門をくぐる人びとの心を清めてくださいます。
■室町時代 正面五間 奥行四間 高さ17.1m
行基菩薩が東大寺建立に先だって、本堂を建立したという伝承から「試みの大仏殿」とよばれています。行基菩薩が寺史乙丸から寄進された場所が現在の本堂の場所であると伝わります。奈良時代の本堂(金堂)は明応8年(1499)に焼失し、天文13年(1544)に再建されました。縮小しての再建ではありますが、高さ17mの大きさは圧巻です。南側一間を吹きとおしにしている「南庇(なんぴ)」や「裳階(もこし)」といった建築技法は奈良時代を意識した復古建築の粋というにふさわしい建物です。一方で、上層の四方には連子窓をつくり、光を取りこむという新しい技法を用いています。春秋の夕暮れには西側の窓から夕陽がさしこみご本尊を照らす、素晴らしい風景にであえるかもしれません。
堂内には本尊 阿弥陀如来坐像はじめ観世音・勢至菩薩が祀られています。
喜光寺の弁天堂は鎌倉時代に活躍された西大寺の興正菩薩叡尊上人が、鎌倉の江ノ島弁財天から勧請したと伝わります。弁天池のなかに建つ弁天堂には、江戸時代に造られたお前立ちの弁財天と眷属の十六童子が祀られています。正面の厨子には秘仏の御神影の宇賀神像が安置されています。現在は初詣と蓮の時期にあわせ、特別開扉しています。
2023/03/02 13:25:22
本山薬師寺の修験咒師本部の方々により「柴燈(さいとう)大護摩供養」を行っております。山林修行の修験者が行っていた護摩祈祷の作法で、「火生(かしょう)三昧」という火わたり式が行われます。修験者たちにつづいて、ご参列の方にも熾火の上を歩いていただきます。 お昼にはおぜんざいのおふるまいもおこなっております。
2024/03/02 15:49:46