| 開始日時 | 2024/05/02 10:18:15 | 終了日時 | 2024/05/02 13:53:23 |
| 水平距離 | 7.15km | 沿面距離 | 7.35km |
| 経過時間 | 3時間35分08秒 | 移動時間 | 2時間48分12秒 |
| 全体平均速度 | 1.99km/h | 移動平均速度 | 1.99km/h |
| 最高速度 | 2.41km/h | 昇降量合計 | 155m |
| 総上昇量 | 76m | 総下降量 | 76m |
| 最高高度 | 15m | 最低高度 | 67m |
| 地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
|---|---|---|---|---|---|
| START | 10:18:15 | 0.00km | 67m | ||
| 03:35:08 | 7.15km | 2.0km/h | ↑76m ↓76m | 0.00% | |
| GOAL | 13:53:23 | 7.15km | 67m |
【コース】
JR奈良駅 ⇒ 三条通り ⇒ やすらぎの道(率川神社) ⇒ 猿沢の池 ⇒ 興福寺(南円堂・北円堂・五重塔) ⇒ 天皇殿 ⇒ 南大門
⇒ 東大寺鏡池 ⇒ 行基堂・鐘楼(昼食) ⇒ 大仏殿中門 ⇒ 庁舎内セブンイレブンで休憩 ⇒ JR奈良駅(15.140歩)
率川神社は、593年に大三輪君白堤が勅命によりお祀りした奈良市最古の神社です。 御祭神の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、神武天皇の皇后様でよく内助の功をおたてになりました。 全国の神社の中でも珍しい皇后様を主祭神とした神社です。 本殿左側には父神の狭井大神、右側には母神の玉櫛姫命をお祀りし、中央本殿にお祀りする媛蹈鞴五十鈴媛命を両親がお守りになられる姿で鎮座される。 三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり) 三枝祭は、文武天皇の大宝元年(701年)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されており、大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈るお祭りです。 昔、御祭神:媛蹈鞴五十鈴媛命が三輪山の麓、狭井川のほとりにお住みになり、その附近には笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えられ、そのご縁故により、 後世にご祭神にお慶びいただくために酒罇に笹ゆりの花を飾っておまつりする様になったと言い伝えられています。(率川神社HPより)
(2015年見学時に撮った写真・動画を編集したもの)
『 法相宗大本山 興福寺 』 西国三十三所 第9番(南円堂)/ 西国薬師霊場 第4番(東金堂) 神仏霊場会 奈良・鎮護の道 第16番/ 大和北部八十八ヶ所霊場 第62番(菩提院大御堂) 【 歴 史 】 法相宗の大本山である興福寺。その前身である「山階寺(やましなでら)」は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、 夫人である鏡女王(額田王の姉)が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられて おり、この名称は後世においても 興福寺の別称として使われています。そして、壬申の乱(672)の後、飛鳥に都が戻った際に、 山階寺も移され、その地名を取って「厩坂寺(うまやさかでら)」と名付けられます。さらに、和銅3年(710)、平城遷都の際、 藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。
喜多原について 奈良好きならではの道に喜多原はあります 奈良県の観光名所である東大寺のすぐ近くにひっそりとたたずむ 信楽焼きの狸が目印のお店です。 世界遺産の東大寺・春日大社なども近く、 お店の前の道正面には知る人ぞ知る戒壇院があります。 また、お店の隣は奈良県出身の写真家である 入江泰吉氏の旧居があるんですよ。 落ち着いた店内でゆっくりとお蕎麦を堪能していただき、 奈良の思い出作りのお手伝いができればと思っております。 店主10数年前になるか、何度か入ったことがある。
奈良の大仏さまは聖武天皇の熱意や信仰心が原動力となり造顕されました。 そのため、聖武天皇の忌日に因んで天皇の遺徳を偲び、毎年5月2日に法要が行われています。 8:00~11:30には天皇殿にて論議法要が行われ、この法要に限り、日ごろは公開されていない天皇殿を屋外から参拝することができます。 13:00からは式衆・稚児などによる華やかな練り行列が行われます。行列が大仏殿に到着した後は聖武天皇慶讃法要が執り行われます。
東大寺の正門である。天平創建時の門は平安時代に大風で倒れた。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が、新たに宋様式を採り入れた大仏様(だいぶつよう)によって再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。
正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する金剛力士([運慶と快慶が、一門の仏師20人を率いて造った])像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大級の重層門である。
大仏殿と南大門の間にあり、水面に映る中門と大仏殿の景色が美しい。
池の中に柄付きの鏡のような形をした島があることが名前の由来という。
島には弁財天が祭られている。
聖武天皇の御忌法要が営まれる毎年5月2日の聖武天皇祭では、池の上の舞台で舞楽が奉納される。
猫段と呼ばれている大仏殿の東にある石段、昔は石段ではなく坂でした。
『こけたら來世は猫になる』という坂として伝わっていました。
急な坂道で危ないから、子どもにそのように言い聞かせていたのか。
ここは東大寺に来るとよく登り下りする階段
この階段に「猫段」の名があったとは知らなかった
弓なりになっていて 登り始めは緩やかで 段差が低く階段幅が広い
途中二月堂に行く自動車道と交差する
東大寺に聞いても由来は分からないと 昔は「猫坂」と言ってたらしい
『かっては坂道で 猫が居たので誰かが「猫坂」と言い始めた
そして階段になってから「猫段」に呼び名が変わった』
とゆうところか
「行基堂」は宝形造の一間堂で、江戸時代前期の建築である。『長闇堂記』は中井大和守が改築に関与したと伝える。もとは重源上人像を祀る俊乗堂だったが、五百年遠忌に際し公慶上人が現在の俊乗堂を新築したため、享保年間に行基菩薩坐像を造立して安置。以後、行基堂とされた。
堂内の坐像は行基菩薩の墓のある生駒市・竹林寺像(鎌倉時代13世紀)の模刻像。
行基菩薩は奈良時代に大仏様を造立する際の勧進をつとめ、東大寺「四聖」の一人で、「四聖」とは聖武天皇・婆羅門僧正菩提僊那・行基菩薩・良弁僧正で、東大寺ではそれぞれ観音・普賢・文殊・弥勒の諸菩薩の化身とされ尊崇されている。
「鐘楼」は俊乗堂と念仏堂にはさまれた鐘楼ヶ丘と呼ばれる場所に建っているが、現在の建物は、重源上人のあとを継いで東大寺の大勧進となられた栄西(えいさい/ようさい)禅師が鎌倉時代(承元年間・1207~10)に禅宗様的要素を加味して再建したもの。大鐘梵鐘(総高3.86m、口径2.71m、重量26.3tあり、撞木はケヤキ造りで、長さ4.48m、直径30cm、重さ180kg、金具を入れると約200kgもある)は天平勝宝4年(752年)に鋳造されたといわれているが、その後、延久2年(1070)10月と永長元年(1096)10月に地震のため墜落し、又延応元年(1239年)6月には龍頭が切れて転落したが、すぐに修理された。
(( この場所気に入ってる。ここで昼食休憩 度々する そうかここ「鐘楼ヶ丘」って云うのか ))
大湯屋は、僧侶のための沐浴施設。 奈良時代創建の大湯屋は、1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討で焼失してしまうが、1197年(建久8年)東大寺再建の大勧進・重源によって再建された。我が国最古の施設で内部には鉄湯船がある。 午前中で引き上げたので、「天皇祭」の稚児行列や鏡池舞台の舞楽奉納を観ていない。
( 昨年の「聖武天皇祭」では写真も撮っている )